映画「ディア・エヴァン・ハンセン」ベン・プラット

映画「ディア・エヴァン・ハンセン」ベン・プラット
映画「ディア・エヴァン・ハンセン」ベン・プラット

映画「ディア・エヴァン・ハンセン」

 

12月1日の映画の日。せっかく映画がお安く観れる日なのに、毎年謎に予定があり行けなかった。

今年はようやく都合がついて行くことができました〜!

1本1000円ってありがたい♪

本当は嵐のコンサートを観ようと思ったんだけど、特別興行だから割引がないんですよねー。

 

で、「ディア・エヴァン・ハンセン」の話し。

 

 

「ディア・エヴァン・ハンセン」邪念に邪魔されまくった導入部

主人公は、大泉洋とデーブ・スペクターを足して2で割ったような容姿の高校生。

って最初に思っちゃったのが間違いだった。どうしても大泉さんやケトラーの顔がちらついてしまってなかなか集中できない。やばいと焦った。

でも、歌がめちゃめちゃ上手い。声のキレイな大泉洋。

だからそこから離れなさいなって自分につっこみながら物語に無理やり集中した。

 

「ディア・エヴァン・ハンセン」の伝えたいことと私の乖離

この映画では「みんなひとりじゃない」ということを繰り返し伝えてくれる。

うん、それはとてもそう思う。だけどいま、実際に一人だと思って苦しんでいる人にそう伝えたところで「そうだね!みんながいるね!」なんて簡単には思えないと思ってしまったのだ。

それよりも違うアプローチがあると思ってしまってもやもやした。

他にも気持ちが向かなかったポイントを物語を振り返りながらまとめてみました。

 

どうしても同意できなかったポイントその1

主人公は内気で友達がいない。

「自分はダサいから人の前に立つなんてとてもじゃないけどできない」って思っているエヴァンという高校生の男の子。

メンタルに問題を抱え、クリニックに通い薬を服用し、自分宛の手紙を書くというドクターから教わったセラピーを毎日実践している。「Dear Evan Hansen.」と。

学校に人は沢山いるけれど、誰もエヴァンに見向きもせず挨拶を交わす仲間も見つからない。

唯一の友達だと思っていたジャレッドには、自分たちは友達じゃない、家族が友達なだけだと言い切られてしまう。

女手一つでエヴァンを育てている母親は仕事が忙しく、エヴァンのことは心配ではあるものの声掛けばかりで実際にはうまく寄り添えていない。

そんな鬱々とした日々に閉塞感を感じて生きているエヴァン。苦しい。なんとも苦しい。

エヴァンは文才があるようで先生や母親にも認められているらしい。

だったらそれで良いやん!別に友達いなくても、その分いっぱい書けば良いじゃん!!

友達は、いないならそれでいいじゃないの。一人で何かを追求しているうちに、もしかしたら寄り添える友達ができるかもしれないし、出来なかったらそれはそれで良いじゃないの。と思ってしまったみちよには「友達がいなくて苦しい」というくだりの持っていき方がちょっと消化できませんでした。。。

 

どうしても同意できなかったポイントその2

メンタルトレーニングのためにエヴァンが自分で書いた自分宛の手紙を、学校イチの問題児・コナーに持って行かれてしまう。

コナーはそのエヴァンの手紙を自分のポケットに入れたまま命を絶ってしまったことで、その手紙はコナーがエヴァンに宛てて書いた「遺書」だとコナーの家族に思われてしまう。

コナーには友達がいないもんだと思っていた家族は、コナーの死に悲しみつつも本当は友達がいたのだと信じて喜んでしまう。

エヴァンは説明しようとするがうまく伝えられず、結局「実は親友だった」と嘘をつき、2人でやり取りしていたメールを捏造したり更に嘘を重ねてしまう。そこからエヴァン自身に仲間ができ、前から思いを寄せていたコナーの妹とも付き合えることになってしまう。

…これがもう苦しい。喜ぶコナーの家族を見ていたら言い出せなくなるのはわかる。だけどそんな嘘は絶対に良くないし、バレないわけがない。

もちろん、だからこそのストーリーなのはわかるんだけど観ててなんとも気持ちが悪い。

映画の中でのエヴァンも自分で自分を苦しめることになり、何度もトイレに駆け込み嘔吐してしまう。

見てるこっちだってトイレに駆け込みたいくらい気持ちやられちゃうよー!! オチは想像がつくし。

そんなわけで、どうしてもこの映画の宣伝に添えられている「感涙ミュージカル」という言葉には同意できない気持ちでいっぱいになってしまった。

 

 ネタバレあり。これから観る方は注意してください ↓

 

とは言え「ディア・エヴァン・ハンセン」を観るべきポイントもあると思いました(ネタバレあり)

コナーの追悼集会。最初はそこでスピーチするなんて自分には無理だと言っていたエヴァンはコナーの母親に「このネクタイをしてスピーチをして」とコナーのネクタイを渡され、舞台に立ってスピーチをすることに。

緊張してヘマをしてしまい、パニックなエヴァン。客席で見ていた学生たちは面白がって動画を撮り始める。

エヴァンは自分を奮い立たせ、見事に素晴らしいスピーチをやり遂げる。

そんな様子をおさめた動画がSNSで拡散され、エヴァンのスピーチに感動したとバズりまくる。

それまで誰も気にかけず挨拶すらしなかった同級生たちがエヴァンを認めみんな笑顔で話しかける。

この機会にできた仲間たちとの活動で、コナーとエヴァンの思い出の地で、いまは閉鎖されているりんご園を再開しようというクラウドファンディングのプロジェクトまで始まる。(もちろん、そのりんご園にエヴァンとコナーが2人で行ったなんていう事実はまったくない)

しかし実はそこそこのお金持ちのコナーの家族は、金持ちのくせにお金を集めているとSNSで批判され始めてしまう。

いわれのないコナー家叩きにエヴァンは耐えきれなくなり、自分がコナーと友達だと言ったのは嘘だったとSNSで打ち明け、エヴァンはまた一人に戻る。

SNS恐ろしい。

良い話しはより美しく美化され、ほんのちょっとでも悪い話しはこれでもかと地獄へと叩き落とし、また勝手な憶測を事実のように見せかける。

日常のほんの一部を切り取って世界に発信することで、自分の意図したこととは違う捉え方をする人が世界のどこかにいるかもしれない。

ちゃんとそこを心に留めてから「公開」のボタンを押さないといけない。

そういう面から見ると、この「ディア・エヴァン・ハンセン」はSNSの素晴らしさと恐ろしさがよく分かるので、普段、他愛もないことを何も考えずにSNSにアップすることが当たり前の若い子たちの考えるきっかけになるのではないかと、青少年たちと生活している立場のみちよは思いました。

それと最後、エヴァンは仲間を失い、楽しく付き合っていたコナーの妹ゾーイとも別れ、一人になる。

だけどはじめは一人でいるのが辛そうだったエヴァンがとても生き生きと、今後の目標を見つけ「一人でも良い」という表情になっていたのはとても気持ちが良かったです。

 

「ディア・エヴァン・ハンセン」を観て 感想

正直、観ていてずっと居心地が悪いようなあまり気分が良いものではありませんでした。

先にまとめたように、わたしの持っている思いと違うことと、あまりにも安易な展開に。

「ひとりじゃない」そう伝えてもらったのがもう少し若いときや子どもの頃だったらもう少し響いていたのかな。

残念ながら薄汚れてしまったおばさんのみちよにはその思いは届きませんでした。

それとミュージカルなので音楽、特に歌が重要だと思うのだけどどれも同じように聴こえる曲調だったのも残念。

わたしがあまり音楽に詳しくないからそう聞こえちゃったのかな?

ただ、中学校とかで学期末に時間があまったから映画を観ましょう!みたいな時間に流すのにはとっても良いのかなと思いました。

若い子たちにオススメします!

 

 

みちよメーター
嘘はいけない度:5★★★★★
SNSを学ぼう度:5★★★★★

映画:ディア・エヴァン・ハンセン
監督:スティーヴン・チョボスキー
脚本:スティーヴン・レヴェンソン
音楽:ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール
製作総指揮:スティーヴン・レヴェンソン、ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール、マイケル・ベダーマン
日本公開:2021年11月26日

映画「ディア・エヴァン・ハンセン」公式Twitter

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